47 - ウ”ェクショー(Vaxjo) と コスタガラス工房 スエーデン


スエーデンの南部中央に位置するウ”ェクショーは、森と泉に囲まれた小都市で、ガラス工芸の歴史を紹介するスモーランド博物館とその近くの移民博物館が見所です。 スモーランド博物館(写真1)ではガラス製作工程をビデオ紹介、過去からの素晴らしい工芸品の展示が行われています。又特別展では最新のデザインのガラス工芸を見せていて、写真禁止と言われているので、終わって博物館の外から写真を写していたら見つかってしかられました。絵葉書でもあれば写真を写す事もないのにと思いましたが、此れこそ盗人にも三分の理というものかも知れません。

移民博物館(写真2)は1850年から1930年にかけ120万人にのぼるスエーデン人がアメリカに移民したとのこと、タイタニックで亡くなったスエーデン人も数十人か数百人(覚えていません)居ます。その頃のスエーデンは現在の福祉国家とは程遠く、貧民が多くて、生きるために新大陸を目指したのでしょう。

ここスエーデン南部には2−300年の歴史を持つ有名なガラス工場が散在し、私たちはその中のひとつコスタ工房(写真3)を訪れました。 観光客のために広い駐車場があり、ガラス製品のみならず、あらゆる工芸品を売る大きな店が2軒もありました。ガラス工場はひとつのワイングラスを作るのに多くの人が働いていて、ガラスを吹く人、ステムを伸ばす人、ガラスを切る人、運ぶ人といろいろな工程のひとつだけをしているのです。 ほとんどオートメーションみたいで短時間の間にどんどん出来てゆくので、私たち観光客はただ呆然と見ていました。

コスタガラス博物館は写真撮影可で素晴らしいモダンガラス製品や、今は亡くなった有名なデザイナーの作品などがたくさん飾ってありました。(写真5−8)

コスタの近くのひなびた町のキャンプサイトに落ち着いたときのこと、北欧のキャンプサイトには必ずあるのがロルブー(ノルウェー語)やヒュッテ(フィンランド語)とかスチュガー(スエーデン語)と呼ばれる簡易宿泊施設です。 このキャンプサイトのスチュガーにポーランドの若者3人が泊まって、アイルランドの道路工事請負人に雇われて10日ほど働いていました。ところがアイルランド人が彼らにお金を払わないで逃げてしまったのです。若者たちはスチュガーの支払いが出来なくて、キャンプサイトから追い出されてしまったのです。 どうしたことか、薄ら寒い夕方にまだ10代と思われる男の子が一人戻ってきて、長い間サイトの隅に座っていました。 ティーシャツにショーツの彼は寒さにたまりかねたのか、私たちのキャンパーに来て携帯電話を貸して欲しいというのです。友達二人と連絡を取るためだとのことですが、私たちの携帯電話は英国ラインなので、町の公衆電話で連絡しなさい、そしておなかも空いてるようだから食べ物を買うようにお金を上げました。彼は喜んで町へ向かって歩いて行きましたが、この夜はもしあの子が帰ってきたらカレーでも作ってあげようか、何処に寝かせようかと心配しました。 世の中には悪人が居るものですね。

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