17 - Redang Island





パーヘンティアン島で親しくなったフランス人夫妻が島を去っていきます。彼らも退職してのんびり旅をしている人たちで、次はレダング島へ行くのだと云ってました。 私たちは、マレー半島の西北部ランガウイの海で遊ぶつもりでした。奥さんがあそこは観光客が多すぎて面白くないと云ってくれ計画を変更しました。

クアラ・ルンパーでレダング島に関しての資料を持っていたので直接電話してみると、船を回すから直接パーヘンチアン島からレダング島へ来るようにとの嬉しい話。 フランス人夫妻は本土まで帰りクアラ・ベスッツの港からタクシーでメラングの港へそして船でレダング島へという話でした。

レダング島はパッケージ・ツアーでしか行けないので、初めに3泊4日二人で150ポンド(33,000円)の予約で行きました。ボートで約45分くらいで真っ白の砂浜のレダング島に着き、案内されたのがペランギ・リゾート・ホテルです。 ここはホテルというよりもユースホステルの様な感じで、大きな食堂で一日三食が食べ放題の上、おやつも出るしお茶やコーヒーはいつでも自由にとのことです。そしてダブルベッドが2つ入っている大きな部屋に冷房があるのに大喜びしました。

このパッケージには一日二回のスノーケリングボートツアーも含まれていて、午後すぐにホテルの客(ほとんどが若者)全員が大きな船に乗って、近くの島へスノーケリングに行きました。客の半数くらいは救命胴衣を離さず、案内人に引っ張られてさんご礁の上に浮いているのです。 海はさすがに素晴らしく透明感がパーヘンチアンよりもぐっと違います。でも鮫や海亀など又熱帯魚もそれほどいないので少々がっかりしました。 夕食時になると合図のガランガランの音と同時に、たくさんの若者たちがいっせいに食堂の食べ物の前に並び、お皿いっぱい山盛りに食べ物を盛ってゆくのです。そしてポールが驚いたように、"ほら、あの小さな女の子、僕の皿の二倍くらい持っていたよ。全部食べられるのかなー?”案じた通りほとんどの若者は食べ残しが多くて、戦後の食糧難を幼いながら体験した私としては、本当に腹立たしい思いでした。

日が暮れるとコの字型にたってるホテルの中庭のバーでカラオケが始まります。へたな歌で聞くのがつらいのですが、驚いたのは日本の演歌をマレー語か中国語で歌っているのです。3日目はウイークエンドにあたり、若者が少なくなり代わりに中高年のおじさん、おばさんがたくさんやってきました。そしてカラオケもぐっと昔風になって”潮来傘"を大声で歌いだしたときには本当に驚きました。でも毎晩12時までの大音響でのディスコにはほとほと困りました。

このウイークエンドの2晩、日本人の若い夫妻が男の子一人を連れてきていたので、いろいろおしゃべりしました。彼らは昨年末、日本からの派遣社員としてマレー半島西海岸のペナング島に住んでいるそうです。。ペナングには日本人学校もあるくらい日本人が多く、今年は日本から3千人の停年退職者がペナングに移住するそうです。暖かくて物価の安い国ですから、医療さえしっかりしていれば住み易いでしょうね。 結局このペランギ・リゾートで追加延期して5泊6日を過ごし、毎日あちこちの島や浅瀬でスノーケリングをしましたが、最高だったのは2回連れて行ってもらった、マリン・パークでした。ここだけでも、レダング島へ来た甲斐ありというものです。

 

 

 

 

 

 

 

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