07 - Kota Kinabaru



コータ・キナバルでは別のホテルを探しました。ここも中華料理屋を一階に経営していて、毎晩11時近くまで大変繁盛しています。

 



ホテルのパンフレットで見つけた、近くの島への日帰り旅行は二人で13ポンド位(3000円)を支払うと、ホテルまでの送り迎えと希望の島(4つの島から選ぶ)へのボートでの往復が含まれています。 朝9時15分ミニバスが迎えに来て途中のホテルをめぐってお客を乗せ、ビーチバムの港へやってきました。そこからモーターボートで10分ほどのマヌカン島へ着きました。桟橋から見た海は色とりどりの魚でいっぱい。白浜はローカルの人々でいっぱい。

早速二人でスノーケリングです。さんご礁がきれいな遠浅でカメラのバッテリーが切れてしまった午後一時まで、一生懸命写真を取り捲っていました。2時まで昼食休憩後又泳ぎ始めましたが雲行きが怪しくなり帰りのボートでは土砂降りになってしまいました。

翌日も同じマヌカン島へ行ったのです。ホテルの冷房の中でデジカメを水中カメラケースに入れて持っていったのですが、スイッチを入れ忘れたため、いったん浜辺に上がりケースを開けてスイッチをいれ水にはいったところ、気温差が余りに激しかったため、カメラケースの中が真っ白に曇りケースの中に水がたまってしまいました。 カメラのレンズも曇り電気系統に水滴がついたらしく動かなくなり、カメラ一台をだめにしてしまいがっかりです。

日曜日、観光インフォメーションを探して歩き回り、翌日の列車の旅のあらゆる情報を得ました。そして同じストリートに日曜マーケットが開いていたのです。 ティーシャツやバティック、サンダルなどを信じられないくらいの値段で買い、買い物客でごった返す露天商の間を歩き回っていると、"ねーおじちゃん、ディスカウント”と言う声が聞こえます。若い日本人の女性が二人でアクセサリーのお店で値切っているのです。 傍へ行って話しかけると、”英語は出来ないけど、ディスカウントだけ云って、何処でも値切っている”とのことでしたが”このおじさん まけてくれないの、これがどうしても欲しいのに”としつこく頑張っていました。

  


月曜日は7時過ぎには長距離バス乗り場へ行き、ビューフォートへ向かいました。ビューフォートからテノムまでボルネオではただひとつの鉄道が通っているのです。観光案内書には途中の景色が素晴らしいとのことだったので、期待に胸膨らませて行ったのです。

10時に出る列車に間に合うか気が気でなく、やっと5分前に駅に着き切符を買ってプラットフォームへ行ってみると、西洋人や若い中国人などでいっぱいです。10時過ぎてやってきた3両編成の壊れかけた車両に我先にと乗り込んだのですが、周囲は若い韓国人の団体でその騒がしいこと。誰もほとんど荷物を持っていなくて、水着の上からショートパンツをはいている位の軽装です。 線路沿いに茶色の水が流れる河があり時々高床式の家が見えたりしますが、道路はどこにも見当たりません。 12時近くに止まった駅で列車の乗客は全部(私たちを除いて)降りてどこかへ行ってしまいました。何が何だか判らなくてやっと英語の話せる駅の人に聞いたところ、私たちの乗った列車はこの河くだりをする若者たちのための特別列車だったのです。次の駅からテノム行きの列車が出るからそこまでこの列車で行きなさいと教えられました。 次の駅で待つこと一時間、駅の周りには小さな学校しか見えません。そして午後は授業がないらしい子供たちが線路の上を三々五々に帰って行きました。

 

  



暑い中でやっとやってきた列車は、ビューフォート発10時の予定の列車でしたが、特別列車のため2時間も遅れてやってきたローカル車で、2台目の車両は車を一台積んでおりその車の周りに男たちが10人くらい座っていました。客席のある車両は後ろの2両であの壊れかけた特別列車よりのもっと汚くて大きな窓にはガラスも入っていません。疲れきったローカルの女性や子供たちがぎっしり座っていました。

  



途中のどこにも素晴らしい景色を見ることもなく列車はテノムに着き、小さな町を一回りして食堂を探したのですが、ミニバスで30分のケニンガウへ行くことにしました。 ケニンガウから土砂降りになり、午後4時に乗ったバスは激しい雨の中、3時間かかって標高2400メーターのクロッカー・レンジ・ナショナル・パークの曲がりくねった坂道を降りてコータ・キナバルへ着いたのでした。バスの窓から時々見える景色の素晴らしかったこと、もう一度来てみたいところのひとつです。

 

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