03 - Kinabatangan




セピロックからミニバスで一泊どまりの小旅行に出かけました。驚いたことに昨日インフォメションセンターの前で、途方にくれていた赤パンダナの大男が、これまた縦横大きな男女二人とミニバスに乗り込んだのです。彼らはロシア人で言葉がほとんど通じません。赤パンダナだけが少々英語を話します。ロシア人もここまで旅に出るほど開けたものだなーと思いました。

両側びっしりとオイルパルムが植えられたキナバルへ向かう道を1時間半走った後、今まさに工事中のがたがた道を又1時間半も走り、やっとたどり着いたキナバタンガン河は、茶色の水がゆったりと流れる大きな河でした。小船でほとんど真向かいのジャングルリゾートに向かいました。 ロシアの3人組のほかに英国人の退職夫婦が二組、フランス人の老女が一人他にはオーストラリア人の若い女性が3人と顔ぶれがそろいました。 コーヒーとビスケットをいただきながら説明を受け、荷物を各寝室へ治めた後、二組に分かれて細長いボートに乗り川上へ向けて出発しました。

   

夕方になるといろいろな動物が川渕へやってくるそうで、船のモーターの音や小鳥の鳴く声、セミの声などしか聞こえません。鼻長猿は雄の鼻が大きいほどモテモテでハーレムが大きくメスを十匹以上も連れています。なんとなくニャッとしますね。尾長ざるは人ずれしていて水辺に船が近づいても逃げません。 ホーンビルは数種がこの川渕に生息しているそうですがこの白黒の夫婦者しか写せませんでした。ホーンビルは仲がよく一生を同じ連れ合いで終わります。

夕日が河を染め薄明かりもなくなって真っ暗になった河を上流から静かに下ってくると大きさ4−5メータもある河ワニが浮いていました。懐中電灯の光であっという間に潜ってしまいました。夕食が終わると夜のジャングルを散歩するツアーがありましたが、フランス人の老女に ”昨夜は7匹のヒルが顔や手足に吸い付いて” と云われて恐れてやめました。 食堂で英国人夫婦、フランス人の老女と一緒におしゃべりで10時過ぎまで楽しみました。食堂は天井に扇風機が回っているだけの筒抜けの建物ですが、不思議とほとんど蚊がいませんでした。ボルネオの蚊はマラリアを媒介しません。

寝室はツインベッドが入っていて蚊帳が取り付けてありましたが、一晩中蚊取り線香を炊いていたので全然心配ありませんでした。ただ夜中に部屋のすぐ近くで聞いたこともない動物の不思議なうなり声を聞いて、当分寝付けませんでしたが・・・・・・。

朝は6時から又船に乗って朝日のあがるジャングルの河くだりです。朝もやの漂う河を静かに下りてゆくとたくさんのツバメが水面すれすれに飛び、水面に浮かんでいる虫をとっているのでしょう。昨夜と同じような猿の群れや、ホーンビルの夫婦ずれなどで特別変った動物はいませんでしたが、このように早朝の熱帯雨林を経験できたことは良い思い出になりました。

朝食後、英国夫婦一組とフランス人の老女、ロシアの3人組みに私たちがジャングルリゾートを後にしました。船で対岸に着く間に川渕で洗濯する女性や水遊びをしている子供たちがいて、こんな濁った水でとあっけに取られて写真を撮りました。 

 

  

午後1時過ぎにサンダカンのホテルに落ち着いた私たちは、疲れきって外の物音もなんのその、2時間も昼寝してしまいました。

サンダカンは30年ほど前、山崎朋子さんの"サンダカン八番娼館”という本を読んで名前を知っていたのです。その昔日本から"からゆきさん”としてこの地に送られたたくさんの日本人の娘さんたちのものがたりです。数年前サンダカン出身の中国系マレーシア人と働いたことがありました。彼女にサンダカン八番娼館の話をしましたら、今も日本人の末裔らしいのがいるとのことでした。 今もきれいとはお世辞にも言いがたい、雑然としたこの町は、写真を写したくなるようなものが全然ありませんでした。

  

  

  

  

  


 

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